先日、久しぶりに友達3人と集まった。気が付けば3年半ぶりの再会だった。
3年半ぶりともなると、結婚したり出産したり、誰かしら近況が激変していたりする。
今回は友達のAが1歳の赤ちゃんを連れてきて、賑やかで楽しい集まりになった。
みんな赤ちゃんに夢中になった。
誰だってムチムチプリンプリンの天使がいれば、接したいに決まってる。デレデレ天国だ。
ところが肝心の赤ちゃん本人は、急に知らない大人に囲まれて緊張したのか、フリーズして全く笑わなくて困ってしまった。
私もおもしろげな顔を一発お見舞いしてみたけど全然だめ。
全然だめどころか、赤ちゃんに真顔で見つめられた。面白くないならいっそ無視してほしい。赤ちゃんの容赦ない無垢な眼光に何度も心が折れかかった。
このまま無の赤ちゃんと打ち解けないまま終わってしまうのか。
30分経ち、赤ちゃんのお母さんAも気まずそうにしている。みんな諦めかけていた。
そんなピンチともいえる現状を打破してくれたのは、友人のキックだった。
キックは2児の母で、育児のプロフェッショナル。さらに赤ちゃんのことが大大大好き。無限の財力さえあれば、赤ちゃんを産み続けたいと言っている。
そんな母性の塊でありながら、元々はこざっぱりとした性格というのも良い。私も一緒にいて心地良いので仲良くさせてもらっている。
このようにアメとムチを使い分け、巧みに翻弄してくる。
キックは赤ちゃんに優しく接し続けた。めげることなく、根気よく。
赤ちゃんの笑顔を見たい。私もキックを応援した。そんな思いが赤ちゃんに通じたのかもしれない。
キックがいないいないばぁを試みた時だった。
いない いな~い…
ばぁ!!!
笑ったー!! ついに笑ったよ! 赤ちゃんがー!!
湧き立つ会場。キックが固く閉ざされた赤ちゃんの心を開いた瞬間だった。
追い打ちをかけるかのように、キックは紙袋からプレゼントを取り出す。音の鳴る絵本とのことだ。
お母さんのAも喜んでいた。もう親子共々キックに心を奪われている。
赤ちゃんは絵本よりも、包装に使われていたギフトシールのほうに興味を示した。
素人の私なら「シールはいいから、ほらほら絵本だよ~」とシールを取り上げるだろう。
ところがキックは速やかに赤ちゃんの気持ちを察し、シール遊びを始めたのだ。
赤ちゃんの手にシールをぺとっと貼る。驚く赤ちゃん。
「ほら、今度はこっちに貼ってごらん」
とキックは自分の手を差し出す。
赤ちゃんはたどたどしくシールを剥がし、キックの手にぺとっと貼り返す。
「わぁすごい! 出来たねー!」
すかさず褒めてあげるキック。
もうお分かりだろう。赤ちゃん、大喜び。狂喜乱舞といっていい。
「即興でそんな遊びを…。すごい…。」私は2人から目が離せなくなっていた。
確かにこんな風に目一杯の愛情を込めてあやされたら、どんな赤ちゃんでも笑顔になってしまうだろう。
というか赤ちゃんじゃなくても狂喜乱舞すると思う。
友達に全力であやされたら、きっと私だって笑いが止まらなくなる。
普段はアメとムチを駆使して翻弄してくるキックに全力であやされたら、めちゃくちゃ楽しいに決まってる……
「私もキックにあやされてみたい」
キックと赤ちゃんの楽しげな様子を見て色々考えているうちに、そう思った。
目の前の2人はまだシール遊びで盛り上がっている。
赤ちゃんはおでこにシールをぺったんこされ喜びの極みだ。
私にもぺったんこしてほしい。
私にも、シールを貼って剥がすのを無限にやるやつをやってくれないだろうか。
そして褒め倒してくれないだろうか。1回だけ、1回だけ試させてほしい。
そんな思いを胸に潜ませ、さり気なく手を伸ばしてみた。どさくさに紛れて手の甲にシールが貼られやしないかという試みだ。
まぁ、普通に無視された。
こうして楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
帰り道、歩きながらキックに聞いてみる。
「ねぇキック、ちょっとさ、褒めてくれない?」
『え、なに? 誰を?』
「わたしを…」
(本当は全力であやしてもらいたいけど、道端だしやめておこう)
『急にどうしたの』
「褒められてみたい、褒められて成長したい」
『急に言われても褒めるところなんて思いつかないよ』
(シールを貼って剥がすのを無限にやるやつはあんなに褒めてたのに…!)
「ああそう…」
『なに(笑)』
「ねぇ、この気持ちってさ、赤ちゃん返りってこと?」
『違うと思うよ』
「ああそう…」
じゃあこの気持ちは何なんだろう。
おわり