私はいつものようにみはしへ向かっていた。
朝から夕方まで食事を抜き、飢餓状態で。
ほとんど残っていない体内のエネルギーをすべて足の筋肉に送りこみ、早歩きでみはしに入店した。
屋内外の寒暖差でメガネが少し曇っているが、おかまいなしだ。
今の私を誰も止めることはできない。
テーブルにお茶とおしぼりが置かれると同時に注文を唱えた。
「苺クリームあんみつに、さらに苺をトッピングしてください」
今日は苺をダブルでいく、朝から決めていた。
いつもならトッピングをダブルで注文する時は大抵モジモジしてしまうが、今日は堂々と言えた。
飢えた体がビタミンを欲している。とにかく今は胃を満たしたい。恥じらうのは満腹になったあとだ。
熱いお茶をひと口飲んだところで、あんみつが運ばれてきた。
早い! こちらに考える隙を与えないのがみはしのやり方だ。
よしよしよし。豪快に苺を口に放り込んでやろう。
そう意気込んで手元の苺クリームあんみつを見下ろした瞬間、私は愕然としてしまった。
いつもよりあんみつが小さい!
苺の数はいつもの2倍。どう考えても、たっぷり大盛りのあんみつが運ばれてくるはず。
でも目の前のあんみつはいつもよりひと周り小さいのだ。
いや、待てよ。これって量が少ないというより器自体が縮んだような……
ここでハッと気がついた。
メガネだ。
私は強い近視で、いつもコンタクトレンズをつけている。
花粉症の時期はメガネをかけることもあり、今日もたまたまメガネをかけてみはしに来ていた。
近視用のメガネの凹レンズを想像してほしい。
あのレンズを通すと物が小さく見える現象が起こる。そして、目とレンズの距離が離れるほど、その現象は強くあらわれる。
この時、私はテーブルに置かれたあんみつを見下ろすような姿勢、つまりメガネが鼻の付け根から下にずれることによって、目とレンズの距離が離れた状態であんみつと対峙していた。
だからいつものあんみつが小さく見えていたのだ。
思わぬ逆ケントデリカット現象に泣きそうになった。メガネでこんなに悔しい思いをするのは初めてだ。
たまにメガネをかけて生活しているが、物が小さく見えて気になったことは一度もなかった。
私は年がら年中みはしのあんみつをうっとり見つめ倒している。だから、脳には実寸のみはしのあんみつがインプットされている。
目に映る小さなあんみつと、脳に残る実寸あんみつの差。気がつかなければ幸せなままだった。これは愛するが故に起こった悲しい事故である。
こんな悲しみは二度と繰り返してはいけない。
みはしへ行く日はコンタクトレンズにすると固く誓った春の日だった。
---------------
コロナの影響でみはしの営業時間が短縮している。
仕方のないことだけど、仕事帰りに立ち寄れなくなってしまった。休日も都合がつかず行けていない。悲しい。
もうすぐ苺あんみつ、桜あんみつが終わってしまう……
今はみはしの思い出だけでどうにか生きている。